セガバンダイがもし実現していたら、今のバンダイナムコのような繁栄はなかっただろう(リライト記事)
2025/02/14

セガバンダイがもし実現していたら、今のバンダイナムコのような繁栄はなかっただろう(リライト記事)大川氏が社長の頃、一度バンダイが経営危機になった際に出た合併話であって、その後幻になった出来事でしたね。
時は1998年。セガがドリームキャストをだす準備をしていた頃、窮地に陥ってた会社がありました。そうバンダイです。今と違い自力でソフトを開発しておらず、委託する形で実現していた中、アップル社の日本販売を請け負っていたピピンアットマークが不振で多額の赤字を計上、業績不振になり低迷、そこに白羽の矢を立てたのがセガでした。
そのやり取りもあっさりしていたもので、合併するという一言で当時のバンダイ社長が要因してしまうほど上下関係があったもので、この話がそのまま通っていたら今のゲーム業界は大きく変わっていたかもしれません。
その社長の対応に当時のバンダイ若手社員が猛反発、社長は辞任、白紙撤回されます。そこからバンダイは起死回生の携帯ゲーム機『ワンダースワン』を故横井軍平氏が設計したハードで打開にかかります。
当時任天堂との関係悪化でGBでソフトが出せなくなっていたスクウェアが積極的にソフトを展開して普及に努めたものの、一大勢力にはなりえなかったものでした。
しかし、奮起したのが功を奏して、たまごっちの再ブレイクなど自力でやっていけるまで回復、しかし、業界再編の波は衰えず、今度はセガがドリームキャストで多額の負債を抱え窮地に立った中で、今度はナムコが合併案をもちかけ、セガナムコが実現しかかったものの、紆余曲折あって、結局セガサミーという形に収まります。
そして、合併に失敗したもの同士のバンダイとナムコが2005年に合併を実現、バンダイナムコが誕生します。セガとナムコが仮に合併していたら、大勢のリストラ社員が出るとして(当時両社とも多くの開発人員を抱えていた)ため、実質開発部隊を持たないバンダイと玩具事業もかぶる事がないナムコとの間ではすんなりと話がまとまったようです。
そしてバンダイのキャラクターや版権を扱ったゲームを元ナムコの開発部隊が手がける方式が生まれ、コラボレーションヒットが続々と生まれます。その間ナムコ側でも意欲作を次々とPS2などで出していき、存在感を見せ付けます。一方のセガサミーは最初は映画ゲーを出すとか、旧IPのAAA化を掲げて、海外の会社を買収したりしたもののうまくいかず、そして、セガ国内CS部門を売れないと判断、段階的にリストラしていきます。
バンダイナムコ側にもその波が来るかと思えばおもったほどでもなく、セガサミー側が一方的にリストラしていく形になります。それはコナミに追随する動きに似ていて、コナミが口火を切った業界再編的なリストラが起こっていた頃です。
もしセガバンダイになっていたら、サミーの影響がなかったとしても、玩具ではセガトイズがあって、競合していたでしょうし、セガがどこまでバンダイのキャラクターを生かしたソフトを出していたか未知数です。
一度は成功したゴットイーター系のソフトやテイルズなど、セガの現状を考えるととてもナムコほどうまく立ち回っていたとは考えにくく、バンダイと合併して正解だったといえるでしょうね。
そしてバンダイは古いIPも活用してオープン化して公開していたりと柔軟性もあって、任天堂との縁も切らず、(セガはソニックとマリオをコラボを実現させましたが)ゲーセン基盤で提携したトライフォースで、マリオカートのゲーセン版を未だに作り続けていて、一方のセガのFZEROは休止中という有様なので、うまく事を運ぼうという意味においても、また、ゲーム会社としての立ち位置や、新しいものを生み出す力などにおいてもナムコ側のほうが上回っていて、今のセガサミーとバンダイナムコを比べるとバンダイナムコに軍配が上がる面が大きいでしょう。
バンダイもナムコもお互いが必要としていて、その関係性がうまくいったというものでしたね。一方のセガサミーは、一度はリストラを加速化させてスマホにシフトしますが、今になってかつての輝きを取り戻せるか?